新人声優の落書き

声優の玉子である私の落書き集。基本声優以外のことばかり書きます。

3億円事件に寄せる、魂の若さ

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3億円事件について、ミッツマングローブさんが語っているコラムを読んだ(上記の物)。
そのコラムの中で、どうして人がここまで3億円事件に惹かれるのかという分析が書かれており、コラムの終盤ではあまつさえこの事件を「耽美」などと評していた。
ここまで私の溜まりに溜まった溜飲を下げてくれた記事はなかった。
ミッツさんのこの記事は、私がこれまで読んだコラムの中で堂々の第1位だ。


そう、何を隠そう私も3億円事件に惹かれ、その中に「耽美」を感じてしまった一人なのだ。
これは小学生のころから。昭和事件史!のようなテレビ特集で3億円事件が取り上げられるたびに、
得も言われぬ高揚と興奮に見舞われ、そこに物語性を感じていた。
そのときめきは日常の中で薄れることはあっても忘れることはなく、何かをきっかけに思い出しては、顔しか分からない犯人である青年に度々思いを馳せていた。


そのコラムの中では「私たちが3億円事件の真相について何も知らないことや、あの有名な顔写真も実際は顔写真ではなく"モンタージュ"であって、犯人の顔形・目鼻立ちなどについて似ているものを集め、合成して作る写真であるため
本当は顔だって分からない」という旨のことが書かれていた(原文ママではなくかなり脚色している)。
またそれに加えて「唯一分かっているのは壊滅的な若さだけ」とも。


そう、私たちは3億円事件について何も知らない。
蜃気楼に隠された事件の真相。
その中で唯一浮かび上がる若さという罪。
若さが罪であること、そして若さが免罪符であること、この矛盾を、同時に成立させてしまっているのがこの事件の本質なんだ。
若さに身を滅ぼされた、若さに身を捧げたこの事件の犯人。
昔聞いた歌の中に、「若さを無駄使いしたい」という歌詞があった。


3億円事件の犯人は、若くして亡くなってしまった恋人かのように、あの壊滅的に若い青年のまま私の中で記憶されいく。私の方は歳をとる一方なのに。
壊滅的なまでの、若さ。
もう私は壊滅的に若いというわけではなくなってしまったけど、それでもずっと覚えている。


若さと言う罪も免罪符も、もう私の手元にはない。
若さを持て余すことはなくなった。
飼い慣らすようになった。
こうやって、魂は歳をとるのだろう。